巻頭言

元気な財津さん

和田光征
WADA KOHSEI

私が財津一郎さんと出会ったのは、某ホテルのバーだった。あの時も暑い夏の日で、財津さんはカンパリソーダを飲んでいて「おひとり・・・」と声をかけてきた。「どうですか、一杯」。「遠慮なく頂きます」。私はマルガリータを静かに飲みはじめた。「僕は熊本なんですよ」と財津さん。私が大分出身ということもあって、いつしか意気投合していった。

財津一郎といえば「てなもんや三度笠」で藤田まこと、白木みのると共に主役を演じていたので、現在の活躍と合わせて印象深いと思う。2010年の映画「ふたたび swing me again」では、往年のジャズメンの姿を素晴らしい熱演で表現した。

「私は母親と2人でたんぼを作ったんですよ。中学時代の話だけどね・・・。父親は戦争から帰ってこなかった。挙げ句の果てに農地解放で、我が家の田畑は小作の人たちに分割譲渡することになった。6反だけ残ったそれを母親と2人で作ったんだけど、水を張ったたんぼは朝行ってみると水が全くない。また水を張ると、やはり抜かれてしまう。田植えを終えて、水が抜かれるということを繰り返していた。だから米がわずかしか穫れなかった。ある時、たんぼの草取りをしていた母親が、突然しゃがみこんで泣き始めた。嗚咽する母親を見て、本当に悲しかったし、本当にくやしいと思ったね」。

私はその話を聞きながら、故郷の田園風景に思いを馳せた。青々とした稲田にしゃがみこんで嗚咽する財津さんの母上の姿がリアルに迫ってきた。そして私は言葉に詰まった儘、押し黙っていた。財津母子は「・・・もう、こんな所にはいたくない」と、村を離れていったという。

それから、財津さんの今日までの道程があるわけだが、功なり名遂げて故郷に帰った折、村人たちは村の入り口まで出迎え、当時の非道を詫びたという。

財津さんはゴルフの名手である。50歳から始めたとのことだが、その腕前はグロス80前後の素晴らしいものである。「僕はね、ゴルフとの出会いが遅すぎたことを、心から後悔している。なぜ、もっと早くやらなかったのかってね。だから今、一生懸命遅すぎた時間を取り返している。それだけ夢中になってやってるんですよ」と微笑む。

夏休み、久々に財津ご夫妻とその仲間で山梨県河口湖近くにあるフォレスト鳴沢G&Cで一泊2プレイを楽しんだ。海抜1140メートルのホールもあって、日中でも気温30度を超えない快適そのもののプレイだった。しかし、西洋芝のコースだけあって、フェアウェイではうまく当たればターフが飛び、ラフに入れば芝にからまれ、グリーンの間近で2打3打叩いてすっかりお手上げ状態になってしまった。しかし79歳の財津さんは2日間とも85前後でまとめていたのには驚いた。

財津さんは77歳の時、太平洋クラブ御殿場ウェストでエイジシュートを達成し、そのお祝いコンペが太平洋クラブ御殿場コースで行われ、出席した。その際の財津さんのスコアが37/38と聞いてビックリ、そのパワーは現在も維持されているのである。

夏富士を眺望しながら帰途についた。

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