巻頭言

大原則の経営

和田光征
WADA KOHSEI

西郷隆盛については、ずっと敬愛の念を持っている。特に「敬天愛人」は西郷が残した言葉だが、その持つ意味の深さ、大きさに感銘し、座右の銘にしている。

私の田舎が九州の山奥で、見渡す限り山また山、そして清流をたたえた谷川が光っているのだが、実は「西南の役」では戦場になっている。官軍と逆賊と化した西郷軍とが戦ったのである。いずれがこの戦場で勝利したのかは、余りに空しいから調べもしないのだが、どちらかと言えば西郷軍へ応援してしまうのが九州人のならわしである。

ところで西郷が何故、少年達まで燃えさせて西南の役を引き起こしたのだろうか。我々が学んだ歴史では西郷が朝鮮を征伐すべし、それが挫折したことから野に下り、西南の役へと発展したのだとあった。しかし、あの西郷が武力で朝鮮を征伐するなどということはどうしても信じられないし、あり得ないことである。

私なりの理解では、明治政府になって今までの武士道としての価値が否定された士族が、各地で反乱を起こし国家の体をなさなくなるだろうという懸念と、士族達の思いを汲んだ結果として、西南戦争を起こしたのが本質のように思える。西南戦争の終了後いくつか反乱はあったが、明治政府は確実に近代国家へと動き始めている。国家を思う巨大な西郷の果たしたものが存在するのだと思う。

勝海舟の書に「氷川清話」がある。海舟の歩んできた中における思想と決断等々を述べた素晴らしいもので、歴史上の人物を含めた人物評のところで、西郷の項になると突然、弾んでくるから面白い。

「…西郷におよぶことができないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で江戸城に乗り込む…。おれも至誠をもってこれに応じたから、江戸城受け渡しも、あのとおり立談の間にすんだのさ。西郷によって江戸百万の人間も、その生命と財産とを保つことができ、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ……」

「とにかく西郷の人物を知るには、西郷くらいな人物でなくてはいけない。俗物にはとうていわからない。あれは政治家やお役人ではなくて、一個の高士だものを」。

「今の世に西郷が生きていたら、話相手もあるのに――。南洲の後家と話すや夢のあと」

海舟は「氷川清話」の中で西郷を度々登場させているが「西南の役」について「情死」であると断言している。また、岩倉具視から相談を受け「鹿児島へ行って欲しい」旨を要請されたが、「…大久保と木戸を罷免するなら西郷を尋ねましょう」と答えている。「それはできない」「…ならば鹿児島へはまいりません」。しかし、この程度で「西南の役」については多くを語らず、西郷の大人ぶりについてことあるごとに述べている。

日本が大陸侵攻していく中で征韓論は利用され、歴史における西郷も歪曲されていったが、今こそ「敬天愛人」の大原則は企業はじめ国の経営に強く求められているように思えるが、どうだろうか。

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