久保田啓一氏

魅力あふれるデジタル放送の成長へと収斂する
幅広い放送技術にわたるそれぞれの進化
日本放送協会
理事 技師長
久保田啓一氏
Keiichi Kubota

テレビビジネスに力強さを取り戻すためには、目前の大きな変化をいかに推進力に変えられるかが大きなテーマのひとつ。そこでは、放送技術の先導的役割を果たすNHKの、ますます進化する取り組みからも目を離すことができない。注目される最新の放送技術の動向について、新たに理事・技師長に就任された久保田啓一氏に話を聞く。

 

メーカー、販売店と一体となった
放送事業が日本の最大の強み

SHVの臨場感が伝える
ロンドン五輪の興奮と感動

── 4月25日に理事にご就任されました。お気持ちをお聞かせください。

久保田 理事・技師長として、技術統括と情報システム・セキュリティ統括を担当しています。NHKはこれまで、放送技術の先導的な役割を果たしてきました。さらにこれからも、放送と通信の融合のような新たな放送技術の研究開発や、番組制作手法の開発、新しいメディアの創造と実用化などで、世界的にも重要な役割を担っていきます。その技術組織の統括として、着実に使命を果たしていきたいと考えています。

私はこれまで、ハイビジョンの開発やBSデジタル放送の立ち上げ、地上デジタル放送でも研究開発や計画策定に関わり、デジタル放送やハイビジョンには大変強い想いがあります。アナログ放送は本年3月末で終了し、全国でデジタル放送への移行が完了しましたが、私はこれが新しい出発点だと考えています。

アナログ放送はほぼ60年の長きにわたりサービスを続けてきましたが、開始当初の昭和28年と今年3月の最後のアナログ放送とを比較すると、画質、音質、サービス内容のどれをとっても、全くレベルが異なるものに進化を遂げていました。デジタル放送も今、始まったばかりですから、これから育て、育み、熟成させていくことが、私たち放送事業者の大切な責務だと考えています。

NHKの放送技術は、番組の取材・収録から編集などの制作技術、番組を時間に合わせて正確に送出する技術、ご家庭まで電波で送りとどけご覧いただく送信・受信技術と、放送に関わるすべての技術業務を行っています。それらすべてが、それぞれの立場で確実に役割を果たし、より魅力あるコンテンツを充実していくことが、デジタル放送を育てることに収斂していくと考えています。

── 今年はオリンピックイヤーです。新たな放送技術にも、世界中の注目が集まる節目の年となります。NHKではSHV(スーパーハイビジョン)のパブリックビューイングも予定されているそうですね。

久保田 放送技術にとってオリンピックは、共に進歩してきた歴史があり、非常に大きな意味を持っています。その典型が、初めてカラー放送を行った1964年の東京オリンピックです。我々はオリンピックを大きな目標として新たな技術を開発してきており、皆さんに「新しいテレビを買いたいな」と思っていただけるような魅力的なコンテンツを提供していかなければならないと考えています。

その先の次世代放送システムとして、SHVの研究開発を進めています。SHVは、ハイビジョンに比べて約16倍のきめ細かな画像と、5.1chサラウンドをはるかに凌ぐ22.2マルチチャンネル音響で、あたかもその場にいるかのような臨場感を味わうことができます。オリンピックロンドン大会では、NHK、BBC、OBSの共同プロジェクトでパブリックビューイングに取り組み、英国と日本、アメリカの3ヵ国で上映する予定です。SHVカメラ2台など、完成度が高まったSHVのシステムをロンドンのオリンピック会場に持ち込み、映像と音声の伝送は、NHKが開発した符号化装置を用いて圧縮し、グローバルIP実験網を経由して各会場に伝送します。

SHVで撮る日本人選手の活躍シーンを、日本の皆さんにできるだけ多くご覧いただきたいと思っています。英国内ではライブですが、英国と日本とでは時差がありますので、日本では収録した映像を中心とした上映になります。ただし、一部の競技についてはライブ映像でお楽しみいただきたいと考えています。英国ではロンドンとブラッドフォード、グラスゴーの3ヵ所、日本では渋谷の放送センターとベルサール秋葉原、NHK福島放送局の会場に、300インチ級の大画面スクリーンと22.2マルチチャンネル音響システムを設置します。迫力ある映像と音声で、あたかもロンドンのオリンピック会場にいるかのように、世界のアスリートたちの熱戦をお楽しみいただきたいです。

── ロンドンオリンピックでは、生中継映像がインターネットでも配信されます。これは画期的なことだと思います。

久保田 実は、2010年のバンクーバー冬季五輪でも7競技32種目で、トライアルとしてごく小規模に行ったのですが、今回のライブストリーミング配信は大規模に行います。大会期間中に、NHKのホームページ「NHKオンライン」にオリンピックの特設サイトを開設します。そのサイトに、色々な種目の生中継をライブストリーミングで提供するページを設けます。生中継の放送計画に含まれない競技種目の中から、1日数種目から20種目、最大で延べ1000時間程度の提供を想定しています。このライブストリーミングで行うコンテンツ・デリバリー・ネットワーク(CDN)とPeertoPeer(P2P)方式の配信で得られたさまざまなデータや研究成果は、ハイブリッドキャストなど放送・通信融合時代のコンテンツ制作やサービス開発に役立てていきます。

久保田啓一氏ビジネス展開の場も拡げる
ハイブリッドキャスト

── テレビではスマートテレビの動向が注目を集めています。しかし、その一方、家庭で多くのテレビがLAN端子を備えながら、ネットへの接続は遅々として進んでいません。この状況をどのように分析されていますか。

久保田 これについて、特効薬はないと思います。地道な周知やお知らせを繰り返すことが必要です。NHKでは、「知ってる!? デジタル」などの広報番組や、ホームページの「地デジを楽しむならばネットにつなごう!」を通じて、ネット接続により利用可能となる便利な機能や、難しいと思われがちですが実は簡単なLAN端子への接続方法についてお伝えしています。

サービスしているコンテンツの充実も図っています。デジタル受信機をインターネットに接続していただくと、「NHKデータオンライン」のサービスが利用でき、全国・各地域のニュースや、天気予報も5qメッシュのきめ細かな地域予報が確認できます。そのほか、クイズや投票に参加いただける双方向番組や、視聴いただくとマイルがたまる番組などもお楽しみいただけます。

デジタルテレビを購入された人の多くが、自宅のパソコンでインターネットを楽しむ環境が整いながら、テレビにLANのコネクターがあることを知らずに、接続をまだされていない方も多いのではないかとも思われます。最近は無線LANを利用してより簡単につなぐことができるようになってきました。電気店のみなさまには、お客様に接続方法などをご説明いただき、受信機のネット接続を促進していただきたいと思います。

デジタル受信機の通信機能をご利用になる方が増えることは、放送事業者にとっても新たなサービスを開拓していく動機付けとなり、放送文化の発展につながっていきます。さらに、付加価値製品や受信機の買い替え需要を掘り起こし、家電業界の発展や経済の復興にも貢献していくものと考えています。

── 放送と通信の融合のさらに進化した形として、NHKでは「ハイブリッドキャスト(Hybridcast)」の取り組みに力を入れています。

久保田 放送と通信の融合は、言われ始めてから15年くらい経ちます。これまでは決してうまく進んでいるとは言えませんが、最近、ようやく進展するための技術的な環境が整ってきました。インターネット環境は高速になり、テレビやタブレット端末に搭載されるCPUも大変高性能になってきました。そうした中で、放送番組に通信のコンテンツを融合させれば、これまで以上に新しいサービスができるのではないかと考えています。その共通プラットフォームになるのが「ハイブリッドキャスト」です。スマートテレビが話題を集めていますが、現段階のスマートテレビは、テレビ受信機でネットが楽しめるというもので、本当の意味での融合≠ナはありません。

── ハイブリッドキャストで、具体的にどんなことが実現可能になるのですか。

久保田 ニュースや番組に、さまざまな言語から選択した字幕を付けることや、字幕のかわりにCGで作成した手話を画面に表示することが可能になります。野球などの中継では通常、7、8台のカメラからの映像を切り換えて放送でお届けしていますが、好みに応じて選択したアングルからの映像を通信経由で受信し、放送番組に合成して楽しむこともできます。

また、受信機だけでなく、スマートフォンやタブレットなどさまざまな端末を連携して利用することができることも特徴のひとつです。リビングルームの大画面テレビは複数の方で楽しむものですから、そこに通信経由の情報を合成すると、うっとうしさ感じる人がいるかも知れません。そうした人のために、大画面では放送のみを表示し、手元のタブレット端末に放送と連携した情報を個別に表示しながら、放送を楽しむこともできます。

ハイブリッドキャストは、視聴者のニーズに合わせた多彩なサービスを実現するだけでなく、さまざまな事業者にビジネス展開の場を提供します。このため、これまでに開発したプロトタイプ受信機には、次世代標準として策定が勧められているHTML5ブラウザーが搭載され、通信との親和性の高い実行環境を採用しています。先日のNHK放送技術研究所の一般公開では、メーカー5社からハイブリッドキャスト受信機のプロトタイプが展示され、ご来場いただいた方にも、実用化がすぐそこまで来ていることを実感いただけたと思います。

改めて問われる
新しいテレビの役割

── メディアの多様化、高齢化、所得減などを背景に、テレビの視聴者層が変化し、家族のだんらんにおけるテレビの在り方が変わってきているのではないでしょうか。

久保田 最近盛んに通信でのソーシャルネットワークサービス(SNS)が取り上げられますが、昔はテレビがSNSの役割を担っていました。茶の間に家族が集まってテレビを見ながらだんらんをしていましたし、会社や学校の休み時間には前日見たテレビ番組を話題に会話が弾んでいました。それが最近は、インターネットなどを通じて個人個人で情報を収集する時代に変わってきています。このような社会環境で、改めて新しいユーザーコミュニケーションの中心的役割を、テレビが果たせるのではないかと考えています。その実験的なサービスのひとつが、放送サービスとSNSを融合したテレダ(teleda)です

テレダでは、札幌に住むおばあさんがテレビをつけると、東京に住むお孫さんがサッカーの試合を見ていることが画面に表示されます。そこで、おばあさんがお孫さんとチャットをしながら、同じサッカーの試合を見られます。離れていてもつながり≠感じることで、テレビが本来備えている体験共有の機能を拡張できるのではないかと思います。ほかにも、テレダの実験から「これまで見ることがなかったような番組を、SNSで薦められて見たら結構面白かった」や、「視聴する番組が拡がる」、「これまでと違うテレビの見方ができるようになる」といった、面白い結果も出ていました。

── NHKはこれからも、放送技術において、引き続き大きな役割を担っていく立場にありますが、最後に、今後の抱負をお聞かせください。

久保田 日本には、放送を制作・送出する機材や、送信機・受信機など、放送に関わる幅広い機器を開発・製造するメーカーがすべて存在しています。さらに、電気店のみなさまとも強い関係を保っており、まさに、放送事業が一体になっていることが日本の最大の強みであり、また、こうした国は他にありません。

このような非常に恵まれた環境を生かし、NHKは、放送事業者やメーカー、電気店のみなさまと手を携えて、日本の産業、流通、そして放送やメディアの元気を取り戻し、将来の発展に貢献していきたいと考えています。

◆PROFILE◆

久保田啓一氏 Keiichi Kubota
1953年3月14日生まれ、香川県出身。1976年、NHK入局。秋田放送局技術部を経て、1980年から放送技術研究所において、ハイビジョン信号方式、伝送方式等の研究開発に従事。1989年、アメリカ総局。SMPTE、ATSC、FCC等において、ハイビジョン放送、デジタル放送の標準化に従事。1996年、技術局計画部副部長、BSデジタル放送の立ち上げを担当。その後、放送技術研究所研究企画部長、次長を経て、2005年から技術局で、地上デジタル放送の全国展開等を担当。2008年、総合企画室〔情報システム〕局長、2008年から放送技術研究所所長を経て、2012年4月からNHK理事・技師長に就任。SMPTE、IEEEフェロー。工学博士。趣味はアルトサックスの演奏。

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