巻頭言

日本人のほこり

和田光征
WADA KOHSEI

3月11日14時46分、私は社の部屋にいた。机に向って書類に目を通していた時、上下に突き上げる激しい揺れが来て、そしてすぐ横方向に激しく揺れはじめ私は慌てて机の下に潜った。置き物は落下して割れ、戸棚からは飾り物や本が飛び出して散乱した。随分長い揺れと社内から聞こえるスタッフの驚愕と恐怖の声、そしてビル全体の軋めく音に、私は大変なことになったことを思い知らされた。

震度4は幾度か、この場所で体験していたので五感はそのエネルギーを記憶していたが、今回はビル自体は大丈夫か、床が抜けるのではないか等の思いが脳裏を占領していった。初めて体験する規模の地震である。

揺れが収まるのを待って全員表へ急いで出たが、公園や道路は人で溢れて、ひとりひとりの顔や動作が恐怖におののいた佇まいであったのが印象に残っている。私は携帯電話のワンセグで地震情報をずっと確認していたので、震度5強を識るとともに余震への警戒を呼びかける。

そんな時、ワンセグから「…今、大きく揺れています」という仙台からの叫び声が飛び込んできた。「大きな揺れがくるぞ」と私も大声で叫び続けている瞬間、地鳴りがして再び大きな揺れが始まり叫び声が建物にこだまする。目の前の白いガラスのビルが左右に大きく揺れ、隣の9階建ての屋上のアンテナが激しく揺れて今にも折れて飛び散りそうな様子が見える。

何という事だ、余震なのに最初と同様の揺れではないか。私は社員全員に帰宅を命じた。これからの時間、何もかも混乱の中に閉じ込められることは火を見るよりも明らかだったからだ。

ワンセグからの情報で、震源地は東北から茨城県沖まで広範囲でマグニチュードは8.9、余震も7.2であることを識ると同時に大津波を想起して「何ということだ」と心深く叫んだ。これほど広範囲の震源であればその被害はかつてないスケールである。

東北、北関東に展開する各メーカーの工場群、そして流通、物流拠点、地域小売店それぞれの被災はいかばかりであろうか。人命は…。私はすべてが軽微であることを只々願い、無事を祈るばかりであった。

時間が経過するにつれ、今回の大地震大津波は869年発生の貞観地震と酷似し千年に1度という巨大なものであったことが明らかになり、マグニチュードも9.0に改められた

東北から関東にかけて被害は想像を絶する規模となり、さらに福島原発の事故により完全に日本国中がパニックになっていった。そんな中にあっても礼儀正しい日本人との海外からの評価とは裏腹に、買い占めという掠奪が横行し、日本人として恥ずかしい思いにかられたのは私ばかりではないだろう。

しかし、日本人の根本は「和を以って尊しと為す」である。有史以来の自然災害に逞しく立ち向かい克服してきた日本人は、この災いも早期に克服していくものと確信する。そして私どもも全力を持ってそれに参画し、そのことによって業界の発展に貢献して参りたいと強く念じている。


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