巻頭言

藤林さん

和田光征
WADA KOHSEI

湯布院温泉に「山荘 無量塔むらた」がある。日本を代表する名旅館で湯布院を見おろす高台の森の中に佇み、お客様がわが家に帰ったような落ち着いた高質な雰囲気と心のこもったもてなしを提供する。それをかもし出す重厚で品位の高い施設のけだかさ、そして心配りが徹底的に行き届いた四季折々の料理の粋。半年前に予約しても泊まれない程という人気は、こうした豊かな部分に起因するものである。

こうした極の世界でありながら自然体の世界を創り上げる感性と、経営感覚は当主・藤林晃司氏の哲学によるものである。

湯布院温泉といえば全国で最も人気の高い温泉地である。大分出身の私も高校時代になってようやく行ったことがありその後は幾度となく訪れたが、現在のように日本人が行ってみたい温泉のトップに上がるようになった源は60年前に遡る。

もともと湯布院は素晴らしい立地であった。豊後富士・由布岳に抱かれるような盆地で温泉が湧いている銀鱗湖と湯布院駅を中心にひろがり発展してきた。大正時代の亀の井バス創設者・油屋熊八が祖である。ドイツのバーデンバーデンに学び、戦後は国民的レジャーブームで大繁盛することとなる。同時に1952年、町を二分したダム建設計画は住民運動によって白紙撤廃され、それを機に主体的に地域の将来を考える雰囲気が地元に根付いていった。

高度成長期には温泉地の歓楽街化に反対し、湯布院の自然や環境を守る運動が岩男穎一町長によって取り組まれ、東宝の映画監督をめざしていた中谷健太郎氏(亀の井別荘)、博物館に勤務していた溝口薫平氏(玉の湯)という個性的なリーダーの若者を得ることによって現在の湯布院の原型が生まれたわけである。

そして藤林さんをはじめとする世代がさらに湯布院を発展させたのである。「無量塔」という名は藤林さんの母方がお寺で、仏教に関する言葉から選んだとのこと。

亀の井別荘、玉の湯と並ぶ湯布院の三大旅館として山荘 無量塔は垂涎の的となっている。藤林さんはこの欄で紹介した大分県直営のレストラン「坐来ざらい」をプロデュースして大成功をおさめている。

藤林さんはもともと音楽愛好家である。故に山荘 無量塔の音楽を楽しめる空間の設備はいい音が奏でられることで音楽ファン、オーディオファンにとっても有名である。藤林さんは「オーディオばかりの空間ではなく、オーディオがある空間が好きなんです」と言われていたが、ラウンジ「Tan’s bar」のオーディオ設備は凄い。カーネギーホールから運んだという赤紫色のウェスタン16Aが中心で貫禄を示し、ピタリと決まってインテリアとしても重厚で素晴らしい様相だ。これを鳴らすための機器類も往年の銘機ばかりで只々驚くばかりである。

「大型ホーンと300Bとの組み合わせで、どこにいても音楽を聞きながら会話ができます。端っこにいてもきれいな音で聴くことができます」という藤林さんの言葉通り、素晴らしい時が流れていた。

自宅も完成し、素晴らしい音楽空間もできたという八月のはじめ、藤林さんは旅立った。湯布院にとっても日本にとっても、大変な損失であり残念でならない。

夏休み、私は湯布院を訪ねた。由布岳に抱かれた変わることのない風景があった…。

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