巻頭言

「感謝」

和田光征
WADA KOHSEI

それは1970年の春、当時の岩間正次社長から「和田君、オーディオ専科を創るぞ」と言われ、「…読者は誰ですか」と問いました。「オーディオ専門店だよ」「社長、読者が明解ですから成功したも同然ですよ」「やってくれるか」「頑張ります」。

私が23才で音元出版の前身である電子新聞社に入社したのは1968年、昭和43年のこと。それから3年目を迎え、25才になったばかりの事でした。

その日から準備にかかりました。私がまず認識したことは、オーディオ専門店としてすでに始められているところを訪ね、「オーディオ専門店」とは何かを識るということでした。

さらに大切な事は、何のためにこの雑誌を発行するのかという大義に基づいた目的の認識でした。岩間社長の目的は明解で、「オーディオ市場を創造し、建設的に発展させることと、オーディオ専門店を育成すること」と力強く語っていただきました。

私がまず訪ねたのが、テレオンの鈴木七之丞社長でした。鈴木さんはポロシャツを着て、ポケットにクロスのボールペンが金色に輝いていました。店の近くの喫茶店に案内され、新しい雑誌の目的を熱っぽく話し、鈴木さんから全面的に協力する旨の力強い言葉をいただきました。正直、私は機器音痴で、当時は何も解らなかったのですが、鈴木さんから色々とご指導いただくこととなりました。

第一号の企画は、「オーディオ市場創造とオーディオ専門店の経営」というタイトルの、オーディオ専門店による座談会でした。出席いただいたのが、鈴木さんを中心に、ダイナミックオーディオの萩原社長、オーディオユニオンの広畑社長、横浜サウンドの樋口社長、光陽電気の河野社長、サウンドエースの斉藤社長という方々であり、岩間社長が司会を務めました。

「オーディオ専科」はまさにここからはじまり、オーディオ専門店が燎原の火の如くひろがっていく緒としての、記念すべき座談会だったと思います。それ以来、オーディオ専科、そして私を何かと支えていただきました。

座談会の中で、ダイナミックオーディオの萩原さんが「商品が余りにも少なすぎる。いい商品をもっと出していかないと…」と強調され、その先見性に後々驚かされました。萩原さんの予見通りの時代へと、業界は発展していったのです。

鈴木さんには初代のオーディオ銘機賞の審査委員長をお引き受けいただき、就任以来十数年に渡って、オーディオ銘機賞を最高の賞へとたかめていただきました。
 
面白かったのは創刊当時、鈴木さんと斎藤宏嗣先生で商品の評価を対談形式で掲載したことで、これは評判を呼びました。鈴木さんの語る言葉で「あれは売れている。これはいまひとつ…」などがあって、実にリアルな商品評価ページとなりました。

その鈴木さんが、早春の花のもと他界されました。私にとりましては、岩間社長ともどもまさに慈父のごとき存在で、かなしみでいっぱいです。心から哀悼の意を表しますとともに、生前のご厚情に心から感謝し、御礼申し上げたいと思います。鈴木さんとはよくゴルフにもいきました。ほんとに楽しい日々でした。

やさしいお人柄、やわらかな笑顔は永遠に私の胸裏から離れることはありません。


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